IPOを目指す企業が知っておくべき「スポットワーク」の労務管理

Point
  • スポットワークでは応募完了時点で労働契約が成立すると考えられていて、企業側の都合によるキャンセルには「休業手当」の支払い義務が発生する。
  • IPO審査では賃金未払いを厳しく確認されるが、複数の仲介アプリを利用したワーカーが勤務した超過分を企業側が把握するのは難しいため自主的な回避策を講じる。
  • スポットワーカーに対しても通常従業員と同様に安全配慮義務(各種保険の適用やハラスメント対策)を果たし、ハラスメント防止の周知・啓発を行う必要がある。

近年、隙間時間を利用して短時間・単発で働く「スポットワーク」が急速に普及しています。人材不足が深刻な企業にとって、スポットワーカーは即戦力として非常に魅力的です。しかし、IPOを目指す企業にとっては、その手軽さの裏に潜む労務管理のリスクを正確に把握し、適切に対応することが不可欠です。

労働契約の成立時期を明確にせよ

スポットワークを募集する企業の多くは、スマホアプリやウェブサイトを通じて求人者と求職者をマッチングさせています。この際、「どの時点で労働契約が成立しているか」という点が大きな問題となります。

以前は、実際に働き始める直前まで労働契約が成立しないと定める仲介事業者が多く、勤務直前のキャンセルに対して制限や補償がないことが問題視されていました。しかし、厚生労働省の留意事項や、スポットワーク協会の新たな指針では、原則として求人への応募が完了した時点で、労働契約が成立すると考えられています。

厚生労働省が取りまとめた留意事項
  • 労働契約の成立時期について
    「スポットワークでは、雇用仲介アプリを用いて、事業主が掲載した求人に労働者が応募し、面接等を経ることなく、短時間にその求人と応募がマッチングすることが一般的である。面接等を経ることなく先着順で就労が決定する求人では、別途特段の合意がなければ、事業主が掲載した求人に労働者が応募した時点で労使双方の合意があったものとして労働契約が成立するものと一般的には考えられること。」
  • 休業手当について
    「労働契約成立後に事業主の都合で丸1日の休業又は仕事の早上がりをさせることになった場合は、労働基準法第26条の「使用者の責に帰すべき事由による休業」となるので、労働者に対し、所定支払日までに休業手当を支払う必要があること。」
  • 賃金及び労働時間について
    「労働者から予定していた労働時間と異なる実際の労働時間による修正の承認申請がなされた場合は、事業主は、賃金は労働者の生活の糧であることを踏まえ、予定された労働時間に基づき勤務した賃金は遅滞なく支払うとともに、予定の労働時間と異なる時間については、速やかに確認し、労働時間を確定させること。」

IPO審査では、労働契約に関して、契約成立時期や労働条件の明示が適切に行われていたかが厳しくチェックされます。曖昧な運用は「労務コンプライアンス違反」と見なされ、上場準備に大きな影響を及ぼす可能性があります。募集要項に労働契約の成立時期を明記し、ワーカーと企業の認識を一致させることが重要です。

予期せぬキャンセルが「休業手当」に

労働契約が成立したにもかかわらず、企業側の都合でワーカーの受け入れをキャンセルした場合、「休業手当」の支払い義務が発生します。特に、スポットワーク協会が定めた解約可能事由に該当しないキャンセルは、休業と見なされるリスクが非常に高いです。

IPOを目指す企業は、予期せぬコストや引当金計上リスクを排除しなければなりません。そのためには、募集内容と実際の業務内容に齟齬がないよう正確に掲載し、安易なキャンセルは行わない体制を構築することが求められます。万が一キャンセルが必要になった場合も、その理由が解約可能事由に該当するかを慎重に判断する必要があります。

「労働時間の通算」はIPO労務の鬼門

スポットワークの最大の落とし穴の一つが「労働時間の通算」です。複数の仲介アプリを利用して、同一のワーカーが自社で週40時間を超えて勤務した場合、超過分に対して割増賃金の支払い義務が生じます。しかし、企業が他の仲介事業者を通じた勤務状況まで把握することは現実的に困難です。

IPO審査では、労働時間管理の適正性が重要な審査項目です。過去の賃金未払いが発生していないかを厳しく確認されます。未払いが発覚すれば、追徴金や延滞金が発生し、上場審査がストップする可能性もあります

この問題に対して、厚生労働省は「労働者からの申告等がなかった場合には労働時間の通算は不要」とする見解を示しています。また、今後は労働時間の通算が廃止される方向で検討されているという動きもあります。しかし、現時点ではリスクが完全に解消されたわけではありません。

企業としては、募集要項に「他社での勤務時間を含めて週40時間を超えない範囲での応募」を推奨するなど、自主的なリスク回避策を講じることが重要です。

労災保険・ハラスメント対策も怠るな

労働契約が成立している以上、スポットワーカーは労働関係法令の保護対象となります。これは、労災保険などの各種保険の適用ハラスメント対策も含まれることを意味します。

IPO準備では、労災の発生状況やハラスメント防止策が適切に整備されているかがチェックされます。スポットワーカーだからといってこれらの対応を怠ることは許されません。通常従業員と同様に、安全配慮義務を果たし、ハラスメント防止の周知・啓発を行う必要があります。

まとめ:IPO成功のために労務管理体制を整備せよ

手軽に利用できるスポットワークですが、IPOを目指す企業は、その特性を理解した上で厳格な労務管理体制を構築しなければなりません。労働契約の成立時期、休業手当、労働時間の通算、労災・ハラスメント対策など、通常の従業員と同様の管理を徹底することが求められます。

スポットワークの活用は、ビジネスの成長に不可欠な戦略となりつつあります。しかし、適切な労務管理なしにその利便性を享受することは、IPOというゴールを遠ざけることになりかねません。IPO準備のプロフェッショナルである社労士に相談し、リスクを洗い出し、適切な労務管理体制を構築することが、成功への近道となります。

投稿者プロフィール

宮嶋 邦彦
宮嶋 邦彦代表社員 
開業社会保険労務士としては、日本で初めて証券会社において公開引受審査の監修を行う。その後も、上場準備企業に対しコンサルティングを数多く行い、株式上場(IPO)を支えた。また上場企業の役員としての経験を生かし、個々の企業のビジネスモデルに合わせた現場目線のコンサルティングを実施。財務と労務などの多方面から、組織マネジメントコンサルティングを行うことができる社会保険労務士として各方面から高い信頼と評価を得る。