東証グロース市場改革が促すTPM上場:上場準備で押さえるべき労務の「勘所」
グロース市場改革の波が、上場を目指すベンチャー・中小企業の戦略を大きく変えようとしています。特に、時価総額や流通株式比率の引き上げといった上場維持基準の見直しは、従来のグロース市場上場のハードルを実質的に引き上げています。これにより、成長性と企業価値向上を両立させながら、より着実に上場を目指すための選択肢として、TOKYO PRO Market(以下、TPM)が注目を集めています。
TPMは、プロ投資家限定の市場であり、上場審査を東証ではなく、J-Adviser(Jアドバイザー)と呼ばれる証券会社が主体となって行うという特徴があります。これにより、売上高や時価総額などの形式基準が問われない一方で、実質審査の重要性がより高まっています。とりわけ、企業価値向上に直結する労務管理は、TPM上場準備における最重要項目の一つと言えます。

なぜ今、TPM上場なのか?
グロース市場改革は、単なる上場維持基準の変更にとどまりません。「成長性と新陳代謝」を促すという東証の明確な意志が反映されており、今後グロース市場への新規上場企業には、これまで以上に高い成長可能性と企業価値向上が求められます。しかし、これは同時に、事業の実績が不十分な段階での上場は難しくなることを意味します。
そこで浮上するのがTPMです。TPMは、高い成長ポテンシャルを持つ企業が、上場後の成長戦略を構築・実行するための「ステージ」として機能します。形式基準がないため、オーナーシップを維持したまま上場し、非公開のメリットを活かしつつ、上場企業としての信用力やガバナンス体制を早期に構築することができます。また、監査期間が1年と短く、上場準備期間も短縮できるため、スピード感のある資金調達や事業展開が可能となります。
従来のグロース市場上場との違い:労務デューデリジェンスの深化
従来のグロース市場上場準備における労務デューデリジェンスは、主に「労務関係法令に違反がないか」「就業規則等の規程整備がされているか」といったリスク管理の側面が強調されてきました。しかし、TPMをはじめ本則市場への上場ではこれに加え、より企業価値向上に資する労務管理のあり方が問われます。
私が証券会社で引受審査に携わっていた経験から、特に注視する点は以下の3つです。
- 各規程の実効性と運用との整合性:
- 各規程と運用の実態があっているか。
- 職務権限規程、権限表と実際の権限が一致しているか。
- 上記は管理監督者の範囲にも影響します。
- 労働時間管理の適法性・実効性:
- 法定労働時間、残業時間の上限規制などを遵守しているかはもちろんのこと、タイムカード等の記録と実際の労働実態に乖離がないか。
- 特に裁量労働制や変形労働時間制を採用している企業は、その運用が適正に行われているか、書類と実態の両面から厳しくチェックされます。
- 労働紛争リスクの洗い出しと対応:
- 過去の労働トラブル(残業代未払い、ハラスメント等)の有無と、その解決状況。
- 可能性を事前に把握し、予防策を講じているか。
- 上場後にリスクとなり得る「潜在的な不満」を汲み取り、先手を打って解決する姿勢が求められます。
これらの項目は、表面的な法令遵守だけでなく、経営者が社員一人ひとりを「企業価値の源泉」として捉え、長期的な視点で人材戦略を構築しているかを見るための指標です。
TPM審査と労務のポイント
TPM(だけではなく本則市場もですが)の審査基準において、労務管理が重要視されるのは、以下の理由からです。
- 内部管理体制の健全性:
- TPMは形式基準がないものの、本則市場と同様にコーポレート・ガバナンスや内部管理体制の健全性が特に厳しく問われます。
- 法令を遵守した労務管理体制は、企業としてのガバナンスが機能していることの証明であり、投資家に対する安心材料となります。
- 事業運営の継続性:
- 労務トラブルは、事業の継続性を脅かす重大なリスクとなります。従業員の離職率の高さや、繰り返される労務問題は、事業計画の達成可能性に疑義を生じさせます。
- 労務リスクが顕在化した場合の事業への影響を精査し、その対応策を細かく確認されます。
- 人材の定着と育成:
- 成長企業にとって、優秀な人材の確保と定着は生命線です。
- 公正な人事評価、透明性の高い賃金制度、健全な職場環境は、従業員のエンゲージメントを高め、企業の成長を支える基盤となります。
- 企業価値向上を図るにあたり、こうした「ソフト面」の充実度も重要となります。

終わりに:企業価値向上への「第一歩」
東証グロース市場改革は、上場を目指す企業に新たな選択肢と、より高い次元での経営を求めています。その中でTPMは、形式にとらわれず、実質的な企業価値向上を追求するための最適な市場となります。
TPM上場準備における労務管理は、単なる上場ゴールのための作業ではありません。それは、健全な労使関係を築き、優秀な人材を惹きつけ、企業全体のパフォーマンスを最大化させるための「攻めの経営戦略」です。
上場準備は、企業が自社の弱点と向き合い、管理体制を根本から見直す絶好の機会です。とりわけ労務の側面においては、過去の慣習や経営者の個人的な判断ではなく、企業価値向上と株主利益の観点から労務デューデリジェンスを行い、課題を特定し、適切な対応策を講じることが不可欠です。
多くの顧問先に対してIPOに係る労務のコンサルティングを行ってきました。そこで感じたのは、労務をはじめ各種経営の課題に真摯に向き合い、改善を重ねる企業は、上場後も持続的に成長し続けるということです。TPM上場は、企業価値向上の「第一歩」にすぎません。しかし、この第一歩を確固たるものにするためにも、労務の「要点」をしっかりと押さえ、盤石な体制を築くことが、成功への鍵となります。
投稿者プロフィール

- 代表社員
- 開業社会保険労務士としては、日本で初めて証券会社において公開引受審査の監修を行う。その後も、上場準備企業に対しコンサルティングを数多く行い、株式上場(IPO)を支えた。また上場企業の役員としての経験を生かし、個々の企業のビジネスモデルに合わせた現場目線のコンサルティングを実施。財務と労務などの多方面から、組織マネジメントコンサルティングを行うことができる社会保険労務士として各方面から高い信頼と評価を得る。