CFO必見!金融庁の動向を踏まえたIPOにおける人的資本開示:企業価値最大化への戦略的アプローチ

Point
  • 金融庁の動向やESG投資の潮流を背景に、IPO準備企業における人的資本開示の重要性が高まっている。
  • IPO準備企業の人的資本開示への戦略的取り組みは、積極的に活用すべき経営戦略の一部。
  • 投資家の関心を考慮した主要な項目と戦略的ポイントを押さえるべき。
  • 人的資本開示を効果的に進めるための5つのステップがある。
  • CFOに注意していただきたいのは、見栄え重視からの脱却と実態の開示、非財務情報の信頼性確保、開示後の継続的な改善と対話などである。

株式公開(IPO)を目指す企業のCFOの皆様、財務諸表の健全性は当然のことながら、近年、非財務情報の開示の重要性が飛躍的に高まっています。特に国内外で注目度が高まっているのが「人的資本開示」です。単なる従業員数の情報開示に留まらず、従業員の多様性、スキル、エンゲージメント、育成への投資など、企業の持続的な成長を支える「人」に関する多様な情報を開示する動きが加速しています。

これまでIPO準備における労務は、「労働法遵守」「コンプライアンス徹底」といったリスクマネジメントの側面が強く問われてきました。これらは引き続き重要ですが、人的資本開示の文脈では、労務は「企業の成長戦略の根幹」として、より積極的にその価値をアピールする役割を担うことになります。

本稿では、IPO準備企業が人的資本開示にどのように向き合い、それを企業価値向上に繋げるべきかについて、金融庁の動向や投資家の視点を踏まえ、具体的な戦略的アプローチを深掘りしていきます。単なる「義務」としての開示ではなく、「競争優位性」を確立するための戦略ツールとして人的資本を捉える視点から解説します。

第1章:なぜ今、IPOで人的資本開示が重要視されるのか?金融庁と投資家の視点

なぜ、IPO準備企業において人的資本開示がこれほどまでに注目されるようになったのでしょうか。その背景には、企業を取り巻く環境の変化と国内外の市場における投資家の評価軸の変化があります。

1. ESG投資の台頭と非財務情報の重視

世界的にESG(環境・社会・ガバナンス)投資の規模が拡大しており、投資家は企業の財務情報だけでなく、環境への配慮、社会的な責任、そして適切な企業統治(ガバナンス)といった非財務情報も重視するようになりました。この「S」(社会)の領域において、人的資本は極めて重要な要素として位置づけられています。投資家は、短期的な利益だけでなく、企業が長期的に持続可能な成長を遂げる能力があるかどうかを評価します。その際、優秀な人材の確保・育成、従業員のエンゲージメントの高さ、多様性のある組織などが、企業のイノベーション力や競争力の源泉として強く意識されるようになりました。

2. 金融庁の人的資本開示の考え方

米国証券取引委員会(SEC)は2020年、上場企業に対して人的資本に関する情報開示を義務付ける規則を採択しました。これに続き、日本においても、2023年3月期以降の有価証券報告書から、「サステナビリティに関する考え方及び取り組み」の記載が義務化されました。

さらに、金融庁の「投資家と企業の対話ガイドライン」や経済産業省の「人的資本経営の実現に向けた検討会」の議論などが、開示の方向性を示しています。これらは、人的資本に関する情報開示が、単なる任意開示から義務へと移行する動きが顕在化していることを示しています。

3. 人材獲得競争の激化と企業文化の可視化

少子高齢化や労働人口の減少、働き方の多様化が進む中で、企業間の優秀な人材獲得競争は激化しています。人的資本への投資や開示は、単に投資家へのアピールだけでなく、求職者に対する企業の魅力を高め、採用活動においても重要な要素となります。従業員の育成制度やワークライフバランスへの取り組み、多様な働き方の推進といった人的資本情報は、企業がどのような人材を大切にし、どのような企業文化を持つのかを可視化し、求職者が企業を選択する上での重要な判断材料となります。

これらの背景から、IPO準備企業が人的資本開示に戦略的に取り組むことは、企業価値の向上、資金調達の円滑化、そして優秀な人材確保という点で、避けては通れない、むしろ積極的に活用すべき経営戦略の一部となっているのです。

第2章:IPO準備企業が取り組むべき人的資本開示の具体項目と戦略的開示

人的資本開示と一口に言っても、開示が求められる項目は多岐にわたります。IPO準備企業は、自社の強みと課題を明確にし、戦略的に開示項目を選定・設計する必要があります。金融庁の動向や投資家の関心を考慮すると、以下の主要な項目と戦略的ポイントを押さえるべきです。

1. 多様性(Diversity)

  • 項目例:女性管理職比率、男性育児休業取得率、外国籍従業員比率、障がい者雇用率、年齢構成、新卒・中途採用比率など。
  • 戦略的開示:単なる数値だけでなく、多様な人材が活躍できるための具体的な制度(育児・介護休業制度の充実、柔軟な働き方制度、ハラスメント防止策など)や、それを推進する企業文化について記述することで、多様性がイノベーションや企業成長にどのように貢献しているかをアピールします。特に、IPO後の成長を牽引する多様な視点を持つ人材の確保は重要です。

2. 育成・能力開発(Development & Training)

  • 項目例:従業員一人当たりの研修時間・費用、リスキリング・アップスキリングへの投資額、資格取得支援制度、キャリア開発支援、リーダー育成プログラム、社内公募制度など。
  • 戦略的開示:従業員のスキルアップやキャリア形成への投資が、企業の競争力強化や新規事業創出にどのように繋がっているかを具体的に示します。特に、成長ステージにあるIPO準備企業では、未来の成長を担う人材をいかに育成しているかが、投資家にとって重要な判断材料となります。従業員定着率との関連性も示唆できるとより良いでしょう。

3. エンゲージメント(Engagement)

  • 項目例:従業員エンゲージメントサーベイ結果、離職率、労働組合加入率、従業員満足度、パルスサーベイ結果、EVP(Employee Value Proposition)への取り組みなど。
  • 戦略的開示:従業員が企業に対してどれだけ愛着を持ち、貢献意欲があるかを示す重要な指標です。エンゲージメントが高い企業は、生産性が高く、離職率が低い傾向にあります。具体的な調査結果に加え、エンゲージメント向上のための施策(社内コミュニケーション活性化、福利厚生の充実、透明性の高い人事評価制度など)を記述することで、組織の健全性と持続可能性をアピールします。離職率が低いことは、成長企業にとって人材流出リスクが低いことを意味し、投資家にとって安心材料となります。

4. ウェルビーイング(Well-being)

  • 項目例:健康診断受診率、メンタルヘルス対策(カウンセリング、ストレスチェック)、長時間労働是正への取り組み、ワークライフバランス支援策(フレックスタイム、テレワーク制度など)、従業員の健康投資額など。
  • 戦略的開示:従業員の心身の健康を重視し、働きやすい環境を整備することが、生産性向上やエンゲージメント向上に繋がることを示します。特に、IPO準備企業は長時間労働になりがちな側面があるため、健康経営への意識の高さは、持続的な成長へのコミットメントとして評価されます。

5. 人材の流動性・確保(Mobility & Acquisition)

  • 項目例:採用人数、離職率、定着率、採用難易度、採用コスト、外部人材活用(フリーランス、副業人材など)の状況、採用後のオンボーディングの状況など。
  • 戦略的開示:成長フェーズにあるIPO準備企業にとって、いかに優秀な人材を確保し、定着させているかは極めて重要です。採用戦略、オンボーディングプロセスの充実、従業員リテンション施策などを具体的に開示することで、人材ポートフォリオの健全性を示します。

第3章:IPO準備における人的資本開示の実践的ステップと注意点

IPO準備企業が人的資本開示を効果的に進めるための実践的なステップと、その際の注意点について解説します。

1. 開示目的の明確化と経営戦略との連動

単に「開示しなければならないから」ではなく、「なぜ開示するのか」「開示によって何を達成したいのか」という目的を明確にします。例えば、企業価値向上、採用力強化、従業員エンゲージメント向上など、具体的な目的を設定し、経営戦略と紐付けます。トップマネジメントのコミットメントが不可欠です。人的資本を経営の重要戦略と位置づけ、積極的に推進する姿勢を示すことが、社内外への説得力を高めます。

2. 現状把握とデータ収集・分析

開示項目に沿って、現状の人的資本に関するデータを収集・整理します。勤怠データ、人事評価データ、研修履歴、アンケート結果など、既存のデータを最大限活用します。不足しているデータについては、新たに測定基準を設定し、収集体制を構築します。特に、エンゲージメントやウェルビーイングなど、定性的な情報も可能な限り定量化する工夫が必要です。

3. KPI(重要業績評価指標)の設定と目標設定

収集したデータに基づき、自社の強みや課題を特定し、開示すべきKPIを設定します。例:「女性管理職比率を〇年で〇%に向上させる」「従業員一人当たりの研修時間を〇時間/年に増やす」など。単なる現状の数値だけでなく、将来の目標値を設定し、その目標達成に向けたロードマップを開示することで、投資家に対して企業の成長意欲と実行能力を示します。

4. ストーリーテリングによる魅力的な開示

数値データだけでなく、その背景にある企業の考え方、取り組み、成果を「ストーリー」として語ることが重要です。例えば、「多様性を重視する当社の〇〇制度が、イノベーション創出に繋がった具体例」など、具体的な事例を交えて記述することで、投資家の共感を呼び、企業の独自性をアピールできます。統合報告書やサステナビリティレポート、IR資料など、複数の媒体で一貫したメッセージを発信できるよう連携を図ります。

5. 社内体制の構築と専門家の活用

人事部だけでなく、経営企画、IR、広報、法務など、関連部署が連携して開示準備を進める体制を構築します。人的資本開示に関する専門知識を持つ社会保険労務士やコンサルタント、監査法人などの専門家と連携し、適切なアドバイスを受けることが成功の鍵となります。開示の形式や法令遵守の観点からも、専門家の知見は不可欠です。

注意点:引受審査部経験を持つ社会保険労務士からの視点

私が引受審査部の経験を持つ社会保険労務士として、特にCFOの皆様に強調したい注意点は以下の通りです。

  • 過度な見栄え重視からの脱却と実態の開示:数値を良く見せることだけに囚われず、実態に即した開示を心がけてください。不都合な数値も正直に開示し、その改善に向けた具体的な取り組みを示すことで、企業の誠実性と透明性をアピールできます。IPO審査において、都合の良い情報だけを開示し、実態と乖離がある場合、かえって信頼を損ねる可能性があります。
  • 非財務情報の信頼性確保:開示するデータは、正確性、信頼性、比較可能性が重要です。適切な内部統制のもとでデータを収集・管理し、必要に応じて第三者による保証やレビューも検討してください。データに裏付けがない、あるいは信頼性に欠ける情報は、投資判断に影響を与えかねません。
  • 開示後の継続的な改善と対話:開示は一度行えば終わりではありません。定期的にデータを更新し、目標達成に向けた進捗を開示するとともに、社会や投資家の関心の変化に合わせて開示内容を改善していく継続的な取り組みが求められます。投資家との対話を通じてフィードバックを得て、開示内容をブラッシュアップしていく姿勢も重要です。

結論:人的資本開示はIPO成功と持続的成長の羅針盤

IPO準備企業にとって、人的資本開示は単なる形式的な義務ではありません。それは、企業の競争力の源泉である「人」への投資を可視化し、企業の持続的な成長ストーリーを投資家や社会に語るための重要なツールです。

戦略的に人的資本を開示することは、投資家からの評価を高め、資金調達を円滑にするだけでなく、優秀な人材の獲得・定着、そして従業員のエンゲージメント向上を通じた企業文化の醸成にも繋がります。上場というゴールを見据えつつ、その後の持続的な成長を確実にするためにも、IPO準備企業は人的資本開示を経営の最重要課題の一つと捉え、積極的に取り組むべきです。

社会保険労務士として、私は企業の皆様が人的資本の真の価値を最大限に引き出し、IPO成功とその後の企業価値最大化を実現できるよう、戦略的な人的資本経営・開示をご支援してまいります。人的資本を羅針盤として、未来を切り拓くIPOを実現しましょう。

投稿者プロフィール

宮嶋 邦彦
宮嶋 邦彦代表社員 
開業社会保険労務士としては、日本で初めて証券会社において公開引受審査の監修を行う。その後も、上場準備企業に対しコンサルティングを数多く行い、株式上場(IPO)を支えた。また上場企業の役員としての経験を生かし、個々の企業のビジネスモデルに合わせた現場目線のコンサルティングを実施。財務と労務などの多方面から、組織マネジメントコンサルティングを行うことができる社会保険労務士として各方面から高い信頼と評価を得る。