IPO準備の課題の一つ「未払い残業代ゼロ」を実現する勤怠ガバナンスの構築

Point
  • IPO審査では、勤怠管理の客観性を確保し簿外債務リスクを排除するため、1分単位で客観的な証拠に基づく労働時間記録が必須とされる。
  • 労務審査では、PCログと勤怠打刻の乖離、準備・後片付け・着替え、実質的に休憩になっていない時間などの「隠れた労働時間」が未払い残業として問題になる。
  • 未払い残業代が発覚すると遡及支払いや修正申告、利益毀損やレピュテーション低下を招き、上場延期・断念に直結する。
  • IPO審査を突破するには、勤怠データの客観的記録の連携、固定残業代制度の適正化、36協定と特別条項の確実な運用という3ステップで実効性ある勤怠ガバナンスを構築することが求められる。

証券引受審査において、労務コンプライアンスの不備は「上場延期」の直接的な原因となります。特に残業代に関しては、単なる計算ミスでは済まされない、企業の存続を揺るがす財務リスクとして扱われるのです。

1. なぜIPO審査で「1分単位の勤怠管理」が絶対条件なのか

上場準備に入ると、主幹事証券会社や監査法人から「勤怠管理の客観性」を厳しく問われます。かつての「自己申告制(ハンコや手書きの出勤簿)」や「固定残業代だから管理は適当で良い」という考え方は、現在の証券引受審査では一切通用しません。

求められるのは、「労働時間が1分単位で、かつ客観的な証拠に基づいて記録されているか」という点です。

  • 内部統制の証明:労働時間を正確に把握できない会社は、原価管理や利益予測も正確にできないとみなされます。
  • 財務諸表の信頼性:未払い残業代は「簿外債務」でありますが、本来はオンバランスして確定債務としてとらえる必要があります。顕在化し債務認識した場合は、直前期の利益が大きく削られ、上場基準を割り込む可能性があります。

2. 審査で狙われる「隠れた労働時間」の罠

多くの経営者が「うちは残業代を払っている」と自信を持って答えますが、専門的なデューデリジェンス(労務監査)を行うと、以下のような「隠れた労働時間」が次々と露呈します。

① PCログと勤怠打刻の「乖離(かいり)」

現在の審査のスタンダードは、「勤怠システムの打刻時間」と「PCのログオン・ログオフ時間」の照合です。もし、PCが20時にシャットダウンされているのに、勤怠打刻が18時になっていれば、その2時間は「サービス残業」と推定されます。この乖離に対する合理的な理由(移動時間、休憩、私的利用など)を説明できなければ、全従業員分を遡及して計算し直すよう命じられます。

② 「準備・後片付け・着替え」の時間

制服への着替え、朝礼前の清掃、始業前のPC立ち上げ、終業後のミーティング。これらが「業務に不可欠」と判断されれば、すべて労働時間です。わずか1日15分の未払いが、全従業員・数年分となれば、数千万円単位の債務に膨れ上がります。

③ 休憩時間の実態

「デスクでランチを食べながら電話対応をしている」「昼休み中に交代で来客対応をしている」といった状況は、労働基準法上の「休憩」ではなく「手待時間(労働時間)」です。休憩時間を完全に自由利用させている実態を証明する必要があります。

3. 未払い残業代が招く「上場延期」のリアルなインパクト

もし審査過程で組織的な未払い残業代が発覚した場合、企業は以下の対応を迫られます。

  • 遡及支払い:過去3年(将来的には5年を見据えた対応が必要)に遡り、全従業員に不足分を支払う。
  • 修正申告:支払いに伴う社会保険料の修正、税務修正。
  • 利益の毀損:多額のキャッシュアウトにより、上場審査の数値基準を維持できなくなる。
  • レピュテーションの低下:「ブラック企業」というレッテルを貼られ、上場後の株価や採用力に悪影響を及ぼす。

実際に、直前期に数億円の未払い残業代が発覚し、上場申請を断念したケースは後を絶ちません。

4. IPO突破のための「攻めの勤怠ガバナンス」3ステップ

審査を無事にパスするためには、形式的な管理を超えた「ガバナンス」の構築が必要です。

STEP 1:クラウド勤怠システムと客観的記録の連携

打刻データだけでなく、PCログ、入退室記録、Slack等のチャットツールのログを突合できる体制を整えます。乖離が発生した際に、即座に管理者へアラートが飛ぶ仕組みの導入が効果的です。

STEP 2:固定残業代(みなし残業)制度の適正化

「月45時間分を含んでいるから安心」という誤解が危険です。

  • 基本給と固定残業代が明確に区分されているか。
  • 超過分を別途1分単位で支払っているか。
  • 雇用契約書や就業規則と実態が整合しているか。

これらを再定義し、整合性を整える必要があります。

STEP 3:36協定の遵守と「特別条項」の運用管理

IPO準備中は業務量が増加しがちですが、36協定の上限遵守は絶対です。特別条項を適用する場合の手続き(事前の申し出、承認プロセス)が社内規定通りに運用されているか、その「プロセス」が審査の対象となります。

5. 結び:労務の透明性が「一流企業」へのパスポート

IPO審査における労務管理の強化は、単なる「コスト」や「規制への対応」ではありません。労働時間を正確に把握し、適切に報いる体制を構築することは、従業員との信頼関係を強固にし、結果として生産性の向上と優秀な人材の定着につながります。投資家は、そのような「持続可能な成長基盤」を持つ企業にこそ、高いバリュエーションをつけます。

当事務所では、IPOを目指す企業様に対し、事前の労務監査(デューデリジェンス)から、審査に耐えうる勤怠管理システムの導入支援、就業規則の整備まで、一気通貫でサポートしております。

「上場を目指したいが、今の勤怠管理で大丈夫か不安だ」「監査法人から指摘を受けたが、どう改善すればいいかわからない」という経営者様、CFO様、ぜひ宮嶋社会保険労務士事務所へご相談ください。上場という大きな夢の実現を、足元の労務固めから支えます。

投稿者プロフィール

宮嶋 邦彦
宮嶋 邦彦代表社員 
開業社会保険労務士としては、日本で初めて証券会社において公開引受審査の監修を行う。その後も、上場準備企業に対しコンサルティングを数多く行い、株式上場(IPO)を支えた。また上場企業の役員としての経験を生かし、個々の企業のビジネスモデルに合わせた現場目線のコンサルティングを実施。財務と労務などの多方面から、組織マネジメントコンサルティングを行うことができる社会保険労務士として各方面から高い信頼と評価を得る。