IPO審査で問われる「労務コンプライアンス」の重要項目と対策~JPXガイドブック2026年1月版を踏まえて~

Point
  • IPO審査で労務が最重要視されるのは、未払債務・レピュテーションリスク・人材流出といった労務問題が企業の継続性や内部管理体制を大きく揺るがすため。
  • IPO審査では、労働時間管理・36協定遵守・ハラスメント防止・社会保険加入・安全衛生管理という5大労務ポイントの重点的な対策が必要。
  • 人的資本開示では、多様性やワークライフバランスに関する具体的な取り組みが求められる。
  • IPO準備では、N-2期から労務監査で課題を洗い出し、規定整備と運用徹底を行い、PDCAで改善の証跡を残すという3ステップで労務体制を整えることが重要。

近年、東京証券取引所(JPX)への新規上場(IPO)を目指す企業にとって、労務管理の不備は「上場延期」や「上場否決」に直結する最大のリスク要因の一つとなっています。2026年1月、日本取引所グループは最新の「上場審査等に関するガイドブック」を公開しました。

本コラムでは、最新のガイドブックが示す方向性と、IPO準備において社会保険労務士の視点から特に強化すべき労務コンプライアンスの重要ポイントを徹底解説します。

1. なぜIPO審査で「労務」が最重要視されるのか

IPO審査における実質審査基準には「企業の継続性及び収益性」や「コーポレート・ガバナンス及び内部管理体制の有効性」が掲げられています。

労務問題は、単なる法違反にとどまらず、以下の3点において企業の根幹を揺るがすと判断されるからです。

  1. 多額の未払債務リスク:未払い残業代は過去に遡って請求されると、数億円規模の損失(偶発債務)となり、財務諸表の信頼性を損なう。
  2. レピュテーションリスク:SNS時代の今、労働問題(ハラスメントや過労死疑い)はブランド価値を失墜させ、投資家の投資意欲を減退させる。
  3. 人材流出による事業継続不能:健全な労務環境がない企業は、成長の源泉である人材を維持できない。

最新のJPXガイドブック2026年1月版では、人的資本経営への関心の高まりを受け、より実態に即した「運用状況」が厳しくチェックされるようになっています。

2. IPO審査で必ずチェックされる「5大労務ポイント」

最新の審査基準を踏まえ、特に重点的な対策が必要な項目を整理します。

① 労働時間の適正管理と未払い残業代の解消

最も否決理由になりやすいのが「サービス残業」です。

  • 客観的な打刻の徹底:自己申告制ではなく、PCのログ、入退室記録、システム打刻の一致が求められます。
  • 固定残業代制の適正運用:雇用契約書での明示、超過分の精算が適正に行われているか。
  • 管理監督者の範囲:名ばかり管理職(権限・待遇が伴わない管理職)を認めていないか。

② 36協定の遵守と過重労働対策

  • 特別条項の適用回数:月45時間を超える残業が年6回以内に収まっているか。
  • 健康管理措置:長時間労働者に対する医師の面接指導が形式的にならず、適切に実施されているか。

③ ハラスメント防止体制の構築

2026年版の指針でも強調されているのが「実効性のあるコンプライアンス」です。

  • 窓口の設置と周知:単に窓口があるだけでなく、実際に相談しやすい環境か、秘匿性が守られているか。
  • 役員による意識改革:トップ自らがハラスメントを許さない姿勢を示しているか。

④ 社会保険・労働保険の適正加入

  • 未加入者の撲滅:パート・アルバイトを含め、加入要件を満たす全員を漏れなく加入させているか。
  • 算定基礎届の適正性:給与額と保険料が一致しているか。

⑤ 安全衛生管理体制

  • 産業医・衛生委員会の稼働:従業員50名以上の事業場において、産業医の選任や衛生委員会の毎月開催が「形だけ」になっていないか。

3. 人的資本開示とサステナビリティへの対応

「人的資本の多様性」や「ワークライフバランス」に関する記述がより具体化しています。これはプライム市場だけでなく、グロース市場を目指すスタートアップ企業にも求められる視点です。

  • 女性管理職比率や男性育休取得率:単なる数字の公表だけでなく、それを向上させるための制度的な裏付けがあるか。
  • エンゲージメントの向上:従業員が安心して働ける環境こそが、長期的な企業価値を生むというストーリーが、審査員(および投資家)に説明できるか。

4. 社会保険労務士が教える「IPO準備の3ステップ」

IPO準備(直前々期:N-2期)から、労務体制をどう整備すべきか解説します。

ステップ1:労務監査(リーガル・チェック)の実施

まずは現状把握です。社労士等の外部専門家による労務監査を行い、就業規則の不備や未払い残業代のリスクを洗い出します。

  • ポイント:隠れた問題(「実は持ち帰り残業をさせている」等)を、N-2期の段階で全て出し切ることが重要です。

ステップ2:規定の整備と運用の徹底

監査で判明した課題を解決するために、就業規則や諸規定を改定します。

  • ポイント:規定を作るだけでなく、「実態」を規定に合わせる必要があります。例えば「副業規程」や「テレワーク規程」も、最新の法改正やガイドラインに即したものにアップデートします。

ステップ3:PDCAサイクルによる改善の証跡残し

審査では「運用実績」が見られます。

  • ポイント:残業時間が削減された推移、ハラスメント研修の実施記録、衛生委員会の議事録など、「改善したプロセス」を証跡(エビデンス)として残す仕組みを作ります。

5.まとめ:労務コンプライアンスは「コスト」ではなく「投資」

IPO準備における労務整備は、多大な労力とコストがかかるように思えるかもしれません。しかし、最新のJPXガイドブックが示す通り、健全な労務管理は企業が公的な存在(上場企業)になるための「入場券」です。

しっかりとした労務基盤がある企業は、結果として採用力が強化され、離職率が下がり、生産性が向上します。労務コンプライアンスは、上場をゴールとするための手段ではなく、上場後に持続的に成長し続けるための「最強の武器」なのです。

宮嶋社会保険労務士事務所では、最新のIPO審査基準に基づいた労務監査・体制構築支援を行っております。

「上場を目指したいが、今の労務管理に不安がある」「未払い残業代のリスクをどう解消すべきか」とお悩みの経営者様・IPO準備担当者様は、ぜひ一度ご相談ください。

投稿者プロフィール

宮嶋 邦彦
宮嶋 邦彦代表社員 
開業社会保険労務士としては、日本で初めて証券会社において公開引受審査の監修を行う。その後も、上場準備企業に対しコンサルティングを数多く行い、株式上場(IPO)を支えた。また上場企業の役員としての経験を生かし、個々の企業のビジネスモデルに合わせた現場目線のコンサルティングを実施。財務と労務などの多方面から、組織マネジメントコンサルティングを行うことができる社会保険労務士として各方面から高い信頼と評価を得る。