はじめに――「放置」が最大のリスクである
ハラスメントの申告が上がったとき、最も避けなければならない対応が一つあります。
「双方の言っていることが食い違うから、判断できない」という理由で放置することです。
申告者は「やられた」と言う。行為者は「そのようなつもりはなかった」「事実が違う」と言う。主張が対立する事案は、ハラスメント調査において珍しくありません。むしろ、ハラスメント事案の多くは当事者の認識が異なる「グレーゾーン」の中にあります。
しかし、「白黒つけられないから何もしない」という選択は、法的にも、ガバナンスの観点からも、そしてIPO審査の観点からも最悪の対応です。放置された申告者は二次被害を受け、組織への不信感は増幅し、問題はより深刻な形で顕在化します。
本コラムでは、双方の主張が対立するハラスメント事案に直面したとき、会社として何をすべきか、CFO・人事担当幹部が知っておくべき対応の原則と、IPO審査における影響を解説します。
なぜ「主張の対立」はハラスメント調査でよく起きるのか
ハラスメントの本質は「受け手の受け止め方」にある
ハラスメントの法的な定義において重要なのは、行為者の「意図」ではなく、受け手が「どう感じたか」です。
パワーハラスメントの定義(労働施策総合推進法)では、「業務上必要かつ相当な範囲を超えた言動」によって「就業環境を害すること」が要件とされています。つまり、行為者が「指導のつもりだった」「冗談だった」と主張しても、それ自体はハラスメントの成否に直接影響しません。
この構造上、行為者が「ハラスメントをした認識がない」と主張するのは自然なことであり、主張の対立はほぼ必然的に発生します。「言った・言わない」「そういう意味ではなかった」という食い違いは、ハラスメント事案の典型的な展開です。
主張が対立する「3つのパターン」
① 事実認識の相違
「その発言はした」「していない」という事実レベルの相違です。証人がいない、録音がないなど証拠が乏しい場合に多く発生します。上司と部下の一対一の場面での言動が問題になるケースがこれに当たります。
② 解釈・文脈の相違
発言や行動の事実は認めるが、その意味・文脈についての解釈が異なるケースです。「厳しく指導した」「感情的に怒鳴りつけた」という認識の差、「冗談で言った」「深刻に受け取った」というギャップがこれに当たります。
③ 因果関係の相違
申告者が「あの言動が原因で体調を崩した」と主張するのに対し、行為者が「その因果関係はない」と主張するケースです。業務上の判断や評価をめぐる問題でよく見られます。
これら3つのパターンはしばしば複合して現れ、調査を困難にします。しかしどのパターンであっても、「主張が対立しているから結論が出せない」ということにはなりません。

「放置」がもたらす5つの深刻なリスク
① 申告者への二次被害
申告が放置された申告者は、「会社は自分を守ってくれない」という強烈な不信感を抱きます。同じ職場で行為者と業務を続けなければならない状況が続くことは、それ自体がハラスメントの継続・拡大になりえます。申告後に申告者が離職した場合、会社は「不利益取扱い」として法的責任を問われるリスクがあります。
② 組織への不信感の蔓延
「あの件、会社は何もしなかった」という情報は、組織内で静かに広がります。申告をためらう雰囲気が醸成され、次の問題が水面下で積み重なります。ハラスメントが申告されない組織は「健全な職場」ではなく、「申告できない職場」です。
③ 行為者の「お墨付き」効果
会社が何も対応しなければ、行為者は「問題ない」と認識します。同じ行動が繰り返され、やがてより深刻な事案に発展するリスクが高まります。特に管理職・役員による行為が放置された場合、組織全体への影響は甚大です。
④ 法的リスクの顕在化
申告を受けながら適切な調査・対応を怠った会社は、民事上の使用者責任(民法715条)を問われます。裁判例では、ハラスメントの事実があったかどうかと別に、「会社が適切な措置を怠ったこと」自体が損害賠償の根拠となったケースが複数あります。
放置は「何もしていない」ではなく、「対応義務を果たさなかった」という法的評価を受けます。
⑤ IPO審査への直撃――これが最大のリスク
上場準備企業にとって、ハラスメントの放置は審査における致命的な評価につながります。審査担当者が確認するのは「ハラスメントがあったかどうか」だけではありません。
「申告が上がったとき、会社が適切に動いたか」が問われます。
調査を実施したか、申告者を保護したか、結論を出すプロセスがあったか、経営陣はその事実を把握していたか――これらすべてが内部管理体制の実効性を測る指標として評価されます。「主張が対立していたので判断できなかった」という説明は、審査担当者には「仕組みが機能していなかった」と映ります。
双方の主張が対立するとき、会社が取るべき対応の原則
原則① 申告を受けた瞬間から「対応開始」と記録する
申告を受けた日時・申告内容・申告者の状態・対応者名を記録してください。この記録が「会社は申告を認識した上で適切に対応した」という証拠になります。
申告の方法は問いません。口頭・メール・相談窓口への書面、いずれの場合も同様に記録を残してください。「申告があったかどうかが曖昧」という状態は、後に「放置していた」という評価に直結します。
原則② 「事実認定」より先に「申告者の保護」を優先する
調査が完了するまでの間、申告者と行為者の接触を最小化することを最優先にしてください。席の移動、業務分担の変更、テレワークの活用など、状況に応じた措置を速やかに取ります。
重要なのは、この「暫定措置」が行為者に対する「懲戒」ではないことを明確にした上で実施することです。調査前の段階での不利益処分は逆に法的リスクになりますが、申告者の保護のための環境調整は会社の義務として認められています。
原則③ 「外部専門家による調査」を組み込む
主張が対立する事案を社内だけで解決しようとすることは、構造的に限界があります。調査担当者が当事者のいずれかと近い関係にある場合、中立性が担保できません。また「社内で揉み消した」という疑念を生む原因にもなります。
弁護士・社会保険労務士などの外部専門家を調査に関与させることで、調査の客観性・中立性を確保してください。事案の程度にもよりますが、外部専門家による調査報告書は、IPO審査においても「適正な対応の証拠」として高く評価されます。
原則④ 「白黒つかなくても」結論を出す
事実認定が困難な場合でも、「判断不能」を結論とした調査報告書は機能不全の証拠になります。
重要なのは、事実の完全な解明ではなく「会社として合理的な調査を尽くした上での判断」を文書化することです。例えば「事実の全容は確認できなかったが、申告者の証言および複数の間接証拠を踏まえ、行為者に対して注意指導を行うことが相当と判断した」という結論は、適切な対応として評価されます。
「グレーゾーンの事案」において会社に求められるのは、完全な真実の解明ではなく、誠実な調査プロセスと合理的な判断です。
原則⑤ 結論に関わらず「再発防止策」を実施・記録する
調査の結論がどうであれ、申告が発生したという事実は「職場環境に何らかの課題がある」ことを示しています。
行為者への注意指導・研修の実施、管理職向けハラスメント研修の強化、相談窓口の周知徹底など、再発防止策を文書化して実施してください。この記録が「申告を受けて組織として改善した」という証拠になります。
原則⑥ 対応の経過を経営会議で共有・記録する
ハラスメント申告への対応状況を、経営会議の報告事項として議事録に残してください。「経営陣が把握し、組織として対応した」という記録は、IPO審査において内部管理体制が機能していることの最も強い証拠になります。
個人情報保護の観点から具体的な氏名は議事録に記載せず「第N四半期・ハラスメント申告1件・調査実施・対応完了」という形式で記録することが実務的です。
IPO審査でハラスメント対応が「クリティカル」とされる理由
審査担当者が本当に見ているもの
IPO審査においてハラスメントがクリティカルな問題とされる理由は、単に「法令違反リスク」があるからではありません。審査担当者がハラスメント対応を通じて評価しているのは、より本質的な問題です。
- 経営陣がリスクを認識できているか
- 問題が起きたとき、組織として適切に動けるか
- 申告者(少数者・弱者)を守る仕組みがあるか
- 不都合な事実から目を背けずに対処できるか
これらはすべて、上場企業として株主・投資家・社会から求められるガバナンスの本質です。ハラスメント対応の実態は、企業の内部管理体制のレベルを測る最も「正直な指標」のひとつとして機能します。
「ハラスメントがあった」より「対応しなかった」の方が審査に響く
審査の現場では、こうした事例が実際にあります。ハラスメントの申告があったこと自体よりも、「申告を受けながら調査も対応もせず放置していた」という事実の方が、審査担当者への印象がはるかに悪くなります。
逆に言えば、申告が上がった事案で、適切な調査・申告者保護・再発防止策・経営会議への報告というプロセスが記録として残っていれば、「ガバナンスが機能している」という評価につながります。
ハラスメント対応の質は、ガバナンスの質と同義です。
上場後はさらに厳しい目線にさらされる
上場後は、株主・投資家・報道機関・一般社会という広いステークホルダーからの目線にさらされます。ハラスメント問題が外部に漏れた場合、株価への影響・代表者辞任要求・不買運動など、事業そのものへのダメージは上場前の比ではありません。
上場準備段階でハラスメント対応の仕組みを確立することは、審査をクリアするためだけでなく、上場後の企業価値を守るための必須投資です。

チェックリスト:双方主張が対立する事案への対応確認
以下の項目を経営幹部・人事担当者で確認してください。
□ ハラスメント申告を受けた日時・内容・対応者を必ず記録するルールがある
□ 申告受理後、調査完了前に申告者と行為者の接触を減らす暫定措置を取れる仕組みがある
□ 調査に外部専門家(弁護士・社労士)を関与させる体制が整備されている
□ 主張が対立する事案でも「調査を尽くした上での判断」を文書化できるプロセスがある
□ 調査結論の如何にかかわらず再発防止策を実施・記録する仕組みがある
□ ハラスメント申告・対応状況が経営会議の定期報告事項となっている
□ 申告者への不利益取扱い禁止が規程に明記され、周知されている
□ 管理職・役員向けのハラスメント研修が年1回以上実施・記録されている
□ 相談窓口が形式的でなく実際に機能していることを定期的に確認している
□ 「申告ゼロ」の状態が「窓口が機能していない」サインである可能性を経営陣が認識している
「主張が対立するから判断できない」という理由での放置は、IPO審査においてガバナンス不全の証明になります。
おわりに――ハラスメント対応は「会社の品格」を示す
ハラスメントの申告が上がったとき、会社の本質が問われます。不都合な事実に向き合い、弱い立場の人を守り、誠実に調査し、合理的な判断を下す――これができるかどうかは、規程の有無ではなく、経営陣の姿勢と組織文化の問題です。
「主張が食い違うから難しい」という現実は確かにあります。しかしその難しさに向き合うことが、会社に求められる責務です。グレーゾーンの事案ほど、対応のプロセスと姿勢が問われます。
上場準備企業において、ハラスメント対応の体制と実績は、財務諸表と同じくらい重要な審査対象です。「問題がなかった」ことを証明するのではなく、「問題が起きたときに適切に動ける組織である」ことを証明することが、審査を通過し上場後も信頼され続ける企業の条件です。
宮嶋社会保険労務士事務所では、ハラスメント申告への対応体制の構築から、外部専門家としての調査関与、就業規則・相談窓口の整備、IPO審査対応まで一貫してサポートしております。「今の体制で本当に大丈夫か確認したい」という方はぜひご相談ください。
投稿者プロフィール

- 代表社員
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2000年、28歳で未経験ながら宮嶋社会保険労務士事務所を開設。
証券会社にて公開引受審査の監修や実査を行い、IPO労務支援の先駆者として多くの企業の上場を支援する。自身も上場企業の役員の経験があり、審査する側とされる側の経験を持つ稀有な存在。
企業のビジネスモデルを踏まえた、形式だけではない実質基準のコンサルティングを行い、高い信頼と評価、そして実績を残している。
開業時から多くのスタートアップの支援を行い、近年では、大学発スタートアップのコミュニティの支援も行っている。
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